2011年5月21日土曜日

ヴァンヂャケットの紙袋




この度、思いきって田舎の実家に引っ越してきましたが、
その際に実家の本棚を整理していたら、
懐かしい紙袋が出てきました。


その本棚の中は、1980年代でストップしており、
当時、私はアイビールックで身を固めていました。


高校生のときはバンドの仲間で水色のVANのトレーナーを
揃えて文化祭のステージに立ったり、
雑誌のMEN'S CLUBを買っては、
このコーディネートがどうのこうのと
背伸びをしておりました。


確か「オフィシャル・プレッピー・ハンドブック」だったか、
石津謙介さんの本だったか忘れてしまったけど、
「○○は、こうでなくてはならない!」みたいな
規律正しいコーディネートが格好良くて惹かれていったのです。
(もしかしたらプレッピーは少しくずした感じだったかも...)


そして友人と「みゆき族」って何だ?
「ペニーローファー」って何だ?
(当時インターネットはないので雑誌や本が情報源だった)と調べては、
たまたまあった1セント硬貨を見つけて、
ローファーの甲の部分にはさんでマネしてみたりしてました。



高校を卒業する頃には、バイトで貯めたお金で、
広島市内の並木通りにあったビバリーヒルズでプルオーバーのシャツや
1万5千円もするボタンダウンを買ったり、
(確かシャツ系はビバリーヒルズで買うみたいなのがあったような...
本通りと現パルコ近くのところにあった
「コーネル」というお店にもよく行っていました。
(コーネルの紙袋もどこかに取っていたのですが見つかりませんでした


あと当時、市内中心部だけでなく、
私のホームタウンよりもさらに県北の三次というところに
「メンズショップもりとう」というのがあって、
VANの商品を扱っていたので、よく足を伸ばして行っていました。
私の就職祝いのスーツを仕立ててもらったのも「もりとう」でした。


その後もJプレスの赤いラインの入ったブレザーやPコート、ダッフルコート、
バーバリーのトレンチコートと
今思えばあの頃が一番、服や靴にお金をかけていたなぁ...
(さらにその後迎えたバブルでは、ほとんど値段なんか見ずに服を買ってました...)


そして、そのお洒落なロゴの入った紙袋を担ぎ、
ステッカーをギターケースに貼ったりして
誇らし気に歩いていた自分が、
知らず知らずのうちにそれをデザインする側になるとは、
思いもよらなかった頃の話しです。


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